今日も、つらつらと、ゲーム。

YouTubeに投稿している動画の補足だったり、普段考えてることを書いてみたりしようと考えてます。頑張るかどうかは未定です。

【雑記】遠くのものこそ好きであれ

かつて東大でよく読まれる本で名前に挙がったことのある、『思考の整理学』で有名な外山滋比古氏の本で読んだ時にすごく共感できる話があった。

 

ある日、外山氏の中学以来の旧友から、外山氏は書いた本を俺たちにくれないじゃないかとぼやいたのに対し、外山氏は「親しいからこそ読んでもらいたくない。恥ずかしい」とキッパリ断ったという。そこから、書いた本を贈ることに対する考えの変遷に話題が移り、「本が届かなかったりするし、届いてもその後の対応が億劫になるならこっちからやらないくていい」と思うようになる。

そして「近い」「遠い」という尺度から物事を見た際に、こういった形で述べていた。

 

近きものはうとましく、遠きものが美しい。ふもとに立てば石ころと赤土の肌があらわで目をそむけたくなるが、遠くからながめると、青くかすんで美しい。*1

 

要は近いものというのは物事の粗が見えやすくなってしまい、逆に遠いとキレイに見えるわけだ。そして外山氏は、近くにいる人ほど「よい影響を受けることが下手」で、逆に何ともない第三者の方が「おもいがけない美しき誤解とともに深い教えを受ける」という形で〆ている。*2遠くのものは解像度が高くないから、ダメなところを知らずに案外素直に受け止められるんじゃないかってことだ。

 

……そのエピソードを読んだ時思ったのだが、自分の場合も当てはまるというか「遠く」の方こそ素直に好きになりやすい傾向があるなというのを感じた。

 

例えば、自分は「チュウニズム」という音楽ゲームが好きだが、じゃあ深入りしているかと言うとそういうわけではない。話題集め程度に上位陣の話とかはほどほどに追っているが、例えば「〇〇さんがアレをAP*3したんだって~」とかはあまり興味が湧かないし、生放送や公式大会とかもザッと見るくらいで終わりだ。ごくたまに入ってはコメントをしているが、頻度は高くない。

 

とまぁここまで書くと、世間的にはただの「逆張りオタク」の一言で片づけられるのが関の山だろう。真にファンになれず。ちょっと離れたコンテンツの方が面白いと言い出す変なヤツらに見られるのは承知だが、「人気コンテンツなんてどうせ面白くないし~」と、ディスるってるわけではないとだけ付記しておく。

なんというか、自分から「近い」コンテンツは、人と比べて息が苦しくなりやすいんじゃないかと感じるのだ。感覚的には、熱気の中に居続けるのは苦手と言った方がいいか。祭りを思い浮かべてもらえれば分かりやすいかもしれない。熱狂の渦に飛び込み、浴びるほどの「アツさ」をもらいつつ、自分も「アツく」なる―。たまにならいいが、常時いるとさすがにしんどい。人混みに押しやられて苦しくなっていく。

別ゲームの『プロセカ』で動画投稿や対戦企画をバンバン出しまくっている「ほわいと」さん*4がいるが、常時プロセカ・ボーカロイドを初め「熱気」をファンに伝えて楽しませようとするとんでもないオーラが出ていて、正直すごく羨ましいと思うくらいだ。自分から祭りを作りまくって。プロセカというゲームをより楽しくやりたいという思いがビシビシ伝わって来る。要はパワーがすごいのだ。近くにいながらも清濁併せ吞んでしまう上に面白さを伝える。動画投稿に10年以上いる人間が何を言ってるんだって話になるが、ぶっちゃけ狂気に近い気がする。

そんなアツさが足りないところがあるからYouTubeで…と考えてしまうこともあるが、それは置いておくとしよう。

 

そんなわけで、熱気だとかそういうものに対して息継ぎがうまく出来ない自分にとって、自分から「遠い」コンテンツは貴重だ。あまり興味がなかったものほどふとした時に「観てみようかな」という欲が高くなっていく。

 

例えば、2ヶ月前にたまたま紀伊国屋で見つけた、イラストレーターの寺田てらさんの画集。今まで名前もキチンと知らなかったのに、手に取って見てると今まで会えなかった「パワー」を感じて、好きになって衝動買いした。今も本棚に丁重に扱っている。

また、昨日はVTuberこと壱百満天原サロメの日めくりカレンダーを見つけて(半分)衝動買いした*5。旧Twitterの時タイムラインに突如と湧き上がり混んでそうだからと近寄るのをためらっていたが、落ち着いた今だからこそで買った。

今日書いてあった格言で「なんか言ってくる方がいたら、威圧感を与えましょう! 逆に威圧感を与えていきましょう!!*6」とあり、ほんのちょっとでも勇気を与えてくれる言葉が身に染みる。サロメ様の言葉はちょっと変化球みがあって陳腐なフレーズもすんなり受け入れやすい。

 

お嬢様の格言が31も入ったカレンダーは至高の逸品である

 

…こういう衝動買いがちょくちょく起こるのは、確かに「未知との出遭い」という要素もあるが、一番大きいのは「『遠く』にあるから素直に受け止められる」からじゃないかと思うのだ。自分だけで完結しているから自分のペースで鑑賞ができるし、自分が面白ければそれでヨシ、面白くなくてもまぁいっかで済ませられる。そして、周りの声がないから特に粗が見つかることなく偏見なく楽しむことができる。もちろん、自分が好きだと思ったコンテンツが後から盛り上がってメディア拡大していくのはめっちゃ嬉しいが。

 

そういえば、動画含めスピーディーにコンテンツを受容することに対し「倍速視聴」と名付けた稲田豊史志氏が、どこで話してたか忘れたが、「映画はあらすじや評判を読んでから視聴している人が増えている」という話をしていたのを見かけたことがあった。上記のように「なんでもいいや!エイヤ!」と買っては後悔することもある自分とは全く無縁の話だが、距離間で見た際、遠くのものであっても「近くに引き寄せてから楽しむ」という行為をする人が増えたのかなと思った。

知らないものに対しとりあえず楽しむというよりは、安心できるものを摂取し、目立ってる粗があるものは取り除く。ある意味「スマート」であり、効率的ではある。時代にあった考え方だなと感じつつも、アングラ万歳なところで育った自分的には清すぎてとても住めようになかった。

 

…と話が散らかってきたのでこれくらいにしよう。

「遠くのものこそ好きであれ」。それにしても自画自賛だが結構いいフレーズじゃないかな。

*1:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』扶桑社文庫,2016,16P

*2:同上,17P

*3:完璧なプレイをした、くらいでいい

*4:チャンネル登録者が多い人で2人いるが、黄色い服のアイコンの方

*5:カレンダーが自分の部屋になかったからちょうどよかった、ってのが半分ある

*6:『いっしょになりたい!壱百満点のお嬢様!\\おカレンダーですわ~!//』(一迅社