今日も、つらつらと、ゲーム。

YouTubeに投稿している動画の補足だったり、普段考えてることを書いてみたりしようと考えてます。頑張るかどうかは未定です。

【雑記】音ゲーマーとヒエラルキーと向き合い方と

どうもこんばんわです、何か書きたいな~書きたいな~って思いつつも「これ文章量足りないな~」ってボツにしてしまうことばかりでちょっとげんなりしてた今日この頃でした。

ネタ帳をしっかり書いて寝かせるなりもう少しアイデアに対して管理を徹底した方がいいのかなって思うところがあります。

 

さて、音ゲー的にはちょっと(というか大分)デリケートな話題に関して、最近ちょっと考えるところがあったので書いてみることにしました。

直感的な部分ばかりで「明確な根拠ねぇじゃんボケ」ってなってますが、最後まで読んで、少しでもこの部分で悩まれてる方の参考になれば幸いです。

 

 

1:考えるきっかけとなった出来事について

まさに自分が関わった内容でして、先日こういうツイートをしました。

 

 (※この問題については当事者と話した上、既に解決してます。)

 

この表現をされた方が動画投稿者*1ということもあって、『見てる人がいる』状態で、自虐的意味合いで使われてたとは言え「底辺」などこういうマイナスの表現をするのはそれを見てる人が傷つく場合があるからやめた方がいいとつぶやいたところ、かなり拡散して結構な炎上案件になりました。

どういうことなのか分かりづらいのでたとえ話をしますと、友達との会話だったり身内の間でこの内容を話すなら、「そこにいる人たちの会話の空気(これを「文脈」と言うことにします)」では「底辺=俺下手だな~ってくらいの自虐的意味合い」で成立することが多く、そのため問題が起こることが少ないです。しかし、これが第三者に「お前底辺だな」と言われるケースや、動画投稿者など発信する側がこのように「ここは底辺」などと表現する際は、この「文脈」は先ほどのような身内的ノリですまされず、単に「底辺=お前はヘタクソ」とマイナスの表現を直にやってしまうことになります。ゲーセンでプレーしてたらいきなり後ろから「やーいヘタクソ帰れ!」って言われるのとほぼ同じくらいかなり傷つくことがあると考えていいでしょう。これを簡潔に言えば「話す場所と人を選ばずに同じ表現で話してるとエラい目にあうことがあるよ」ということですね。

当の本人に直接DMして話をつければそれでよかったじゃんって内容だったり、単にソースだけの意味でその動画のリンクを貼ったら当の動画コメントで暴れ出す人たちを送り付けることになってしまったりと色々反省するところはあるのですが、リプライに来てたので気になったのがありました。

 

「俺、レーティング〇〇だからそもそも底辺すらなかったわ……」

 

自虐的に書いてるのか本当に落ち込んで書いてるのかこの文だけでは分かりませんが、これを見ていて思ったのが、

 

「なんか音ゲーマーって、気づいたら何かしらのヒエラルキーを(無意識・意識問わず)作り上げてる人が一定数いるんじゃないか??」

 

 ということです。何かしらの基準を設けて「はぁ、俺は〇〇底辺だわ……」だったり「俺、〇〇だけどこれ出来たのヤバくね?」だったりと、どこかしら階層ってのがあたかもあるかのように振舞われることが多く(実際自分もよくやってるし、過去にそんなツイートをして軽くバズったこともありました)、「なんでこういう風になるんだろう?」って気になったので考えてみることにしました。

 

2:ヒエラルキーを意識してしまう理由

この辺本当に直感的で申し訳ないのですが、主にこのような流れがあるんじゃないかと考えています。

 

まず、大体の音ゲーには「難易度」だったり「段位認定などの称号」「レーティング」など何かしらゲームシステムとして存在しています。特に「難易度」がない音ゲーはそもそも見たことがないです。*2

それで、ゲームをやり続けるには「目標」ってのが必要になってきますし、「クリア・高スコアが取れた時の達成感」もまた必要になってきます。いわばよく喩えとして使われてる「登山」をイメージするといいでしょう。終わりのない道をずっと歩くのは案外しんどいもので、頂上にたどり着いてゴールした際の達成感があるからこそ登山は楽しいのです。

そうなると、必然的に「三合目まで歩いてる人」「もう頂上までたどり着きそうな人」だったりと、ゲームを始めた時期や上達速度によって色々とバラツキが出てきます。こんな感じで、少なくともゲームプレイヤー全体を俯瞰すれば、「ヒエラルキー」ってのは必ず存在するのです。

さて、ここで話しておきたいのが、「イキる」とどうなるかについて。今はインターネットが普及してる時代になりこの全体的な「ヒエラルキー」が以前よりクッキリと見えるような状況で、例えば「俺レーティング〇〇だけどこのゲームの一番難しい曲クリアしたわwww俺って最強wwwww」なんて書いてみるとどうなるでしょうか。それを書いた人は「俺もう頂上辿り着いたんじゃねやっべぇ!!」って思ってたとしても実際に存在するヒエラルキーでは半分にすら辿り着いていないわけでして、勘違いしてる「イタいヤツ」になってしまうわけです。そのあとの流れはまぁお察しの通りで、めちゃくちゃ叩かれます。*3それにしても「その考えがマズかった」程度なのに「そういう風に考える〇〇はゴミ、最低、氏ね!」って人格まで攻撃してくる人がいるのはいかがなものだと思ったりしますが、こじれるのでこれくらいにしておきましょう。

それで、人間は余計な傷を付きたくないものなので、防衛手段として「〇〇だけどまだまだだな~」など、あえてヒエラルキーを下におくことでこの攻撃から守るってのを取るようになるはずです。(ここ憶測でごめんなさい)

そしてこれが極端な傾向になったのが「底辺」で、*4逆にべらぼうにうまい人のことを「ゴリラ」などと表現されるようになりました。*5

 

もう一つの大きな流れとして、「誰かが作ったヒエラルキーに対して自分を照らし合わせてしまう」ってのがあります。

1で挙げたツイートの内容がまさにそれで、特に全体的なヒエラルキーが見えていない場合は基準がないものですからこういうものにモロに影響を受けてしまうものでして、それをあたかも「元々あったヒエラルキー」であるかのように勘違いし「はぁ、俺はそもそもスタートラインにすら立ててないのか……」など落ち込んでしまうという最悪のケースもあり得ます。

 

このように、ヒエラルキーというのは自然に出来上がったり誰かが勝手に作ったものだったりと様々で、それぞれの過程で何かしらの意識をしてしまうタイミングがあるわけです。これによって苦しむ人も結構見かけるほど無視できないものだったりします。*6

 

3:このヒエラルキーとどう向かい合えばいいのか

こんな感じでヒエラルキーが出来上がるし意識してるんだよってのを説明してきましたが、ではどのように考えればいいのか、どのように振る舞えばいいのか、最後に書いておこうと思います。

 

(1)完全独り身プレーにして、「プレイヤー」という基準点を無くす

(2)「ウチはウチ、ヨソはヨソ」のプレー精神で貫いていく、あるいは「実力が近い人同士」のコミュニティを作って「自分の中の」ヒエラルキーの幅を狭くする

(3)人の作ったヒエラルキーはしょせん「その人の考えてるヒエラルキー」だから、それを真に受けない

 

以上、3点ですね。色々と補足をしていきます。

 

(1)この方法で一番簡単なのが、「身近に同じゲームをやっている友達を作らないandネットでも積極的につながらない」です。自分は「太鼓の達人」と「DDR」でこの方法を取ってます。リザルトとかは貼るんだけどその程度で、ホントにマイペースにやってます。デメリットとしては「詰まった時の相談相手がいない」とか大きいですが、DDRに関しては運動がメインだし「うんまぁそこまでガチらなくていいか!」って開き直って遊ぶことにしてます。

 

(2)前者はこれが出来れば苦労しないよってのが本音です。というわけで後者の方法。周りの人たちだけでワイワイガヤガヤやれた方がいいって人はこの方法がオススメです。「うまい人に追いつきたい!」って目標を持てる人はあまりオススメできないです。

デメリットとしては「身内ノリになって出すぎて叩かれることがある」ことでしょうか(まさにさっき言った「イタいヤツ」)。「あっそう」で流せないのもどうかと思ってしまう部分もありますが、「やっちまったぜ」程度で問題ないです。

 

(3)1に通じるところが大きいですが、ぶっちゃけ「その人が考えたヒエラルキー」程度でいいんですよ。たとえ実力が上の人が作ったものであっても関係ないもので、「あなたはそう考えてるけどボクは違うよ」で流せるといいです。

 

 

そんな感じで、ヒエラルキーとの向き合い方でした。

自分の結論としてはヒエラルキーってのをはどんなものであれ勝手にでも意識することがあるんだなぁってとのと同時に、うまく付き合ってあげるといいんじゃない」ってことです。

あまりこういうものに囚われず、音ゲーライフを楽しんでみてはどうでしょうか。

*1:そもそも投稿者じゃなかったらここまで言ってない

*2:もし無かったとしたら、弐寺の「冥(A)」と「5.1.1(N)」が混在するカオスな状態になって、初心者が穴冥を選んで満足に遊べるわけがなくむしろ挫折すること待ったなしなので、そんなUIを作るバカなゲーム会社はないと信じてる

*3:もう4年前かその辺の頃にやった弐寺の投稿者杯で、とある投稿者の煽り文句を「鍵盤だけなら十段全一」なんて紹介したらツイッターからの反応が散々だったのを思い出した

*4:太鼓の達人では「モブ」って表現が流行ってる。ぶっちゃけどっちも好きじゃない

*5:個人的には、「ゴリラ」って言葉どこかヒエラルキーの外に追い出してなかったようにしたいから名付けたんじゃないかって仮説を唱えてみたいけど……考えすぎか

*6:実際自分がそれだった。弐寺の皆伝全然受かんなくて最後の方なんか結構荒れてた